優里のスピ探究

霊的導き ツインレイ スピリチュアル探求の実録ブログです

春の雨の中、思いがけない出来事。

結局見学したコミュニティに私は入りませんでしたが強くなりたいと日頃から言っている長男が入会し、私も付き添いで定期的に稽古場へ足を運ぶこととなりました。運命の出会いであったとしてもそれ位の距離感が丁度いいのです。純白のモザイクの姿を見かけてほのかに楽しい位が丁度いい。

 

実はHPに載っている指導者の写真を初めて見た時、瞳に乾いた氷が宿っているような印象を受けたのが気になっていました。見学どうしようかな?と、チラッと思ったりもしたんです。ですが実際に会ってみれば冷たい人という感じは無く、むしろ“完璧” “心配要らない”という言葉が似合いそう。とにかく好印象しかありません。

 

長男に付き添い稽古場に通い始めて間もない頃、「ファミリーコンステレーション」というスピリチュアル・ワークショップの案内が舞い込んできました。家族というシステムに焦点を当て、そこで引き継がれてしまっているパターンや葛藤、痛み、トラウマを解明し、解放していくワークのようです。

 

七人兄妹のうち母を含めたほとんどが離婚し苦労してきたのは家系に何か問題があるのではないかしらと思っていた私ですから、思わずこの案内に飛びつきました。何が何でも参加したい!母のために受けたアカシックリーディングではヒントをもらえなかったけれど、もしかしてこのワークショップなら不幸を断ち切る手がかりが得られるかもしれない!

 

ワークショップの説明を読んでいて得体の知れない部分もありましたが気にしている暇はありません。ワークショップが行われるのは1ヶ月半ほど先の3月最終週末です。ほぼ即決で申し込みを済ませて一安心。

 

 



そろそろ桜の話題も出始める3月のとある日、春の小雨に傘を差して歩いていると偶然道端で純白のモザイクに出会いました。ジュースの自動販売機の前で小銭を出そうと何やらモゾモゾやっています。

挨拶をして、少し立ち話。

確かに気にする程ではないけれど、多少なりとも濡れるからと無防備な純白のモザイクの頭上を傘で覆ってみました。

 

「あ、それでしたらこちへ。」

 

彼は自動販売機のすぐ脇の軒下へ私を誘ったのです。なぜかと言うと、雨に濡れない場所に移動すれば私が傘を差し出す必要がなくなるから。

 

(こんな事ってあるの…?)

 

軒下に入って傘を降ろし、私はポカンとしてしまいました。人の為にと何かをすれば大抵相手はそれを受け入れるものです。下手をすればやってもらって当たり前、もっともっとと要求する相手もいます。そして私はそういう人達に囲まれてすっかり疲れ切っているところでした。心がジンワリしてきます。

 

(大丈夫ですと断るのでもなく、そっと傘を降ろさせて負担を減らす機転の利かせ方がスマートで優しさが滲んでる。こういう扱われ方って、誰にもしてもらったことなかった…。純白のモザイクがどんな人なのかもっと知りたい。知りたくなってしまった。遠い距離感で良かったのに。)

 

春の雨が、そして心が温かい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

純白のモザイクを見つけた。ツインレイと運命の出会い。運命って、何?

新しい土地に住まいを変えると必然的に暮らしの仕切り直しをすることになります。食料や日用品を手に入れるためのスーパーマーケット、自分の好みに合った美容室、最寄り駅まで一番ご機嫌な気分で歩けるルート、信頼して診てもらえる病院など生活環境のモザイクを一片、一片選び直していくのです。引っ越したら何か習い事でも始めてみようと思っていた私は趣味のモザイク選びということで、早速とあるコミュニティの見学へ長男と一緒に行ってみることにしました。

とあるコミュニティ、まぁ、運動系です。ダンサーだった私にしたら全く畑違いなのですが、昔テレビで見かけてやってみたいなぁと微かな興味をそそられたもので、番組では沖縄古来の武術が中国武術と融合したのがその運動のルーツだと紹介されていました。

 

訪ねていくとやる気満々の生徒さんたちの活気ですでに稽古場は賑やかでした。目に飛び込んでくる微笑ましい光景に自然と気持ちが明るくなります。白い道着に身を包んだ指導者の方に挨拶をし稽古が始まるのをしばし待ちます。座っていればいいだけなのに初めての場面ってやはりちょっぴり緊張するものですね。時計の長針が「12」をきっかりと指すと、指導者が稽古開始を告げました。

 

よく響く大きな声が場の空気をサッとまとめ上げ、一瞬にして稽古の環境を創り上げる。目の前で展開されたその妙技のせいではないんです。

 

声そのもの。

指導者の声そのものにジュっと全身を焼かれた私。

艶のある響きが一気に全身を通り抜け、

鳥肌が立って、産毛も逆立ち、身動きが取れない私。

「この人って…」

「この人って…」

「この人って…、本物かもしれない。」

何の本物かって?そんなものは分かりません。分からないけれど、直感がそう呟いたんです。

あぁ、どうすれば良いのでしょう?これは一体何なのでしょう?

私の何かが変わってしまった。とにかく何かが変わってしまった。これは特別なことに違いない。

だって、全身がチリチリ焼かれたまま、全く動けなくなってしまったんだから。

こんなことって、あり得る??

 

やがてゆっくり衝撃は収まっていき、面白そうやってみたいという純粋な気持ちで生徒さんたちの動きを眺めているうちに稽古は終わりました。指導者から入会についての説明を聞いているわずかな時間の中で見えない細い糸が繋がったような気がしたのは、説明が終わると指導者は少しほほを赤らめて自らの膝の上に視線を落としてしまったから…。でもそれは気が付かなかった事にしてみました。

それは、簡単なことじゃないですから。

 

 

 

 

純白のモザイクを見つけた。特別な純白のモザイク。

 

特別なモザイクを見つけはしたものの、それを手にする気にはなれません。それは、簡単なことではないのです。そっと胸の中にしまっておくだけでいい。

 

とっても気にはなるけれど。

 

 

 

 

“耳には聞こえない声”が人生の新たな展開をささやきかける

両親の離婚惨劇に関わっている最中、不幸続きの母の気持ちを優先するために自分の感情は排除しなければいけないと自らに言い聞かせていたのは、幼い頃に培われた父を慕う気持ちを隠すためでした。父は厄介な性格の反面心がどこかあたたかく、おどけ上手で小さな私をたくさんかわいがってくれました。そして何より汗水流して懸命に働く父の姿が私は大好きだったのです。

ですが、悲劇のヒロインになっている母に父の味方をするような発言をちょっとでもしてしまったら最後、私の味方は誰もいない!と母は怒って収拾がつかなくなるに決まっています。来る日も来る日も母の嘆き話にただ相槌を打っているうちに、私は軽いうつ状態に陥ってしまったようでした。

 

「黒いモヤモヤしたカタマリが胸の中にずっとあるのよ。」

 

不安症と診断された母が口にしたこの言葉が感覚として分かるような気がします。喜怒哀楽が消え失せて心が動きません。

ーどうか誰にも悟られませんようにーテレビを観ている子供たちに気付かれないようにキッチンの陰にうずくまって心の暗闇にしばし沈みー何もなかったかのように立ち上がって夕げの支度をー

 

 

しばらく苦しい日々が続いたものの、友人がそっと教えてくれた自然療法やアカシックリーディングセッションでのゲリーからのアドバイスに癒され、私は少しずつ回復していきました。

その頃には母も気持ちを切り替えて自分の力で生活していけるようにと一人暮らしの居を構え、新しく資格を取って始めたデイケアの仕事で自転車を走らせながらお客さんの家々を訪ねまわる日々を送るようになりました。「子供や孫に迷惑をかけないように」との一心でとにかく必死だったとのことです。あれだけの災難に見舞われながらの不屈の精神と頑張りに頭の下がる思いがします。時が経ち、母の自立心にも助けられ、我が家に落ち着いた日々が戻ってきたのです。

 

やっと、晴れ間が見えてきた。

 

長い賃貸暮らしを卒業し、ついに家を建てることになりました。念願の終の棲家です。第一希望の地域では良い物件に出合えず最寄り駅を変えてみたところトントン拍子に話が進み、その年の12月には無事に家の引き渡しが終了しました。

荷物の搬入前の下見にと一人で新しい家を訪ねた時のことです。鍵を開けようとした瞬間、頭の中に耳には聞こえない声が響きました。

「ここは、終の棲家じゃない!」

そして引っ越しの荷物が片付き一人で家事をこなしている時にはこんな言葉が聞こえてきたのです。

「菩薩存在になりなさい。」

どちらの声もだいぶ昔に聞いた、威厳のある男性的な声です。

 

菩薩存在とはいったい何のことでしょう。

 

間もなく始まる人生の新しい展開を何一つ知らないまま、私は黙々とアイロンを掛けるのでした。

 

 

十二番札所 焼山寺 文殊菩薩



その後、菩薩存在とは何のことなのかが気になりちょっとだけ調べてみました。

菩薩とはサンスクリット語で「ボダイサッタ」といい、それが中国で「菩提薩埵」と訳され、日本で菩薩と呼ばれるようになったもの。直訳すると「悟りに向かって修行する人」となり、お釈迦様のように修行を終えて悟りに到達していないが、それに向かって精進している者という意味を持つのだそうです。

 

仏教にも仏像にも興味、知識はありませんでしたし、ましてや悟りへの欲求があるはずも無く「菩薩存在になりなさい。」とは私にとってまったく雲をつかむような言葉でした。そんな言葉を受け取ったと大っぴらに話すのは自慢話かのようで気恥ずかしくさえ思うのです。

ただ、

「真っ白くなりたい」「透明になりたい」という私の想い、言い換えるならば衝動と通じるものがあるような気はします。

「求道者ということかな。それなら悪くないかも。」

 

疑うことも深く考えることも止めて素直にその言葉を受け取ることにしました。

今でもそ言葉は、そーっと胸にしまってあります。

 

 

 

 

 

初めて受けたアカシックリーディングの情報は今でも貴重な人生の道しるべ。

都内の指定されたビルの入り口でしばらく待ち、約束の時間ぴったりにインターホンを鳴らす。

「コンニチハ~。ドウゾ~。」

カタコトの日本語にやわらかな口調。ゲリー本人でしょうか?

ドキドキしながら部屋に入ると、フレンドリーなニコニコ顔のゲリーが握手で出迎えてくれました。通訳の日本人女性も笑顔です。

 

挨拶の際、ゲリーが初対面の私に「何か懐かしい感じがします。」と言ってくれたのに緊張で気の利いた返しができません。「そうですか。」とニッコリしてみたけれど、もっと嬉しそうにした方が良かったかしら?

 

いくつかの注意事項、「アカシックリーディングの未来の情報は、今現在のエネルギーの状態で最も起こる可能性の高い未来となるため、エネルギー状態に変化が起きると未来の情報が変わる可能性があります。」などの説明を受けた後、質問をどうぞと促されました。

 

「私の両親は長年の不仲の末に離婚しました。離婚は大きなトラブルになりましたし、母の兄弟はほとんど全員離婚しています。なにか因縁やカルマが家系にあるのでしょうか?」

思い出したくない過去が脳裏にチラつき、意を決しての問いかけに

「その質問には答えません。」ゲリーがキッパリと言い放ちました。

 

「(どうして?それじゃあ私、何のためにここに来たの?)」

 胸がグッとなって言葉が出ません。

 頭の中は真っ白け。

 まったくの思考停止。

 しばしの沈黙。

 

「あなた自身の質問のみに答えます。あなたの両親の出来事はあなたに関係ありません。」

 

「(関係ないってことないと思う。ずっと関わってきたし、不幸真っただ中の母を助けてあげたいのに…。何をしにここに来たっていうの?)」

 

 再びの沈黙。。。

 

ショックを受けて身動き一つとれない私を見かねたのか、ゲリーが少しづつ話し始めました。

「あなたの今世での家族における課題は『許し』です。お父さんに対してはだいぶいい感じ。お母さんに対してはあともう少し。」

それは何となく腑に落ちる話でした。トラブルを招いたのは父ですが、父のどうしようもない弱さや心の傷を理解していたので、たとえ縁を切られても父を攻める気持ちはひとつもありませんでした。むしろ母に対しては確かに被害者でかわいそうとはいえ、いくつかの行動に疑問を抱いていたのです。母は自分を正当化しすぎていて自身の間違いには一つも気づいていませんでしたから。

 

「あなたの今回の転生の目的は、一人目のお子さんの魂を今世に招くことでした。最初のお子さんが産まれたときに何か心境の変化があったはずですよ。」

心境の変化?何かあったかしら?

そういえば若い頃、何をかも分からないまま「まだやり残してることがある。」と思うことがしばしばありました。それが長女を産んだ後は「もう、いつ死んでも問題ない。」という気持ちに変化していたのです。それから、産まれたばかりの長女を抱きながら「この子の結婚は難しいものになる…。」と理由もなくつぶやいたことを思い出しました。

 

ゲリーは子供たちの魂の本質についても教えてくれました。

長女とその弟は5才差なのですが、それほど年齢が離れているようには見えない。弟の方が年上かのようにしっかりしていて、お姉ちゃんには本当に困ったものだとウーンとゲリーはうなりました。当時の長女は優秀で聞き分けの良い小学生、弟は親を悩ませるほどやんちゃで自由な幼稚園生。

とても弟のほうがしっかりしているとは思えませんでしたが、年月を重ねるにつれて子供たちはゲリーの教えてくれた通りに成長していったのです。

 

「あなたは『望んだものは手に入らない』と思っていますね。」

ゲリーの突然の言葉に思わず涙がこみ上げてきます。あぁ、確かにそう思ってる。いつもそうやってすぐに諦める。でも、どうしてこんなに泣けてくるんだろう。それは繰り返す転生の中での経験から私にすっかりこびりついた”思い込み”だったからでした。

 

ゲリーはこんなことも言い当てました。

「あなた達は本当の夫婦ではありませんね?」

「はい、そうです。」

平然と答えた私に、今言ったことの意味が分かっているのかしら?とゲリーはいぶかって、もう一度同じ言葉を口にしました。

もちろん意味は分かっています。それは誰にも話したことのない情けない秘密でした。普通であればその秘密を指摘されたなら、恥じたりあわてて隠そうとしたりするのでしょうか?そんな自分がどう見られているか?ということよりもほんとうにリーディング出来ていることが確実に証明され、信じて大丈夫という安堵感を得てゲリーに素直な返事を返していたのでした。

 

意味が伝わっていることを理解したゲリーが話を続けます。

「あなたは更年期でもう子供はできませんから安心していいですよ。」

これにも私は素直に答えました。

「そうですか!良かったー!産むのは大変でこれ以上はムリ!殺されちゃうって思ってたんですよ!良かったー!」

子供ができる理由はもう一つも無いけれど、それでも身体にキツい思いをしなくていいと太鼓判を押されたのが無性に嬉しかったのです。

 

すると、なぜかゲリーが腹を抱えて笑い出しました。ソファーから転げ落ちそうな勢いでおかしくてたまらないといった風に長らく笑っていて、通訳の方も困り顔です。

私の頭の中は?マークでいっぱい。何が面白いのかさっぱり分かりません。そんなに変なこと言ったかしら?それとも喜び過ぎ?もしくは私、何か勘違いしてる??

 

ねぇ、ゲリー。一体、何が視えてるの??

 

 

この十数年前に受けたアカシックリーディングでの情報は、今でも貴重な人生の道しるべとなっています。

両親の不幸から離れて自分の人生を生きることを学び、家族のみならずできる限りあらゆる人に対しての『許し』に挑戦し続けることで幸せが近づいてくることを知りました。

長女の魂の本質は反抗期になって表面にあらわれ始めたのですが、心の準備ができていたのでその豹変ぶりにあわてず対処することができました。

 

その一方で、情報の意味がまだはっきりしていないものもあります。なぜ子供を授かる事はないとわざわざ言われたのか?それを喜んだ私をなぜゲリーはあれほどまでに笑ったのか?

今になればゲリーが視た未来を二つの可能性に絞ることができます。そのどちらが正確な情報の解釈だったのかは、未来が現実になった時に確信をもって「このことだった!」と分かるはずです。

もしくはセッションの最中に「どんな未来が視えたのですか?」「今の情報はどういう意味ですか?」とゲリーに問えば詳しく教えてくれたかもしれません。ですが、事の詳細を尋ねなくて良かったと私は思っています。

 

この転生を通してワクワクする未知の冒険をするために、今ここに居るのですから。

 

神秘的な世界スピリチュアルとの出会い。真実の扉を開く最初の鍵は思いがけない場所に。

 

幼き頃の寝床にて母から聞いた昔ばなし。友人に誘われ訪れた高校の文化祭。眠る情熱に急き立てられて始めたダンス。テレビで見かけた未だ知らぬ世界。いつもそばにあったあたりまえの光景。何千回も通り過ぎてきた小道。あの時その瞬間にふと芽生えたささやかな想い。。。

果てしなく人生を彩るモザイクたちの中で、あなたの人生を変えるきっかけとなったものは、何色のどんなカタチのモザイクだったでしょう?

私のものはグリーンを基調とした長方形のやや厚みのあるモザイクでした。

 

新しい仕事の面接のため幼い長男を一時保育に預けてから向かった駅の中に、小さな書店がありました。

「ひとり気ままに流行りの本を眺めるなんてほんと、久しぶり。せっかく読むなら日常からまったくかけ離れたものがいいなぁ。」

スピリチュアルや宇宙に関する本が面陳されているコーナーで足を止め、電車の時間を気にしつつ、いくつかの表紙に目を通していきます。題名や帯の文章をサーっとは見ても、吟味する時間はあまりまりません。

ビュイック・ドライバーって何だろう?気になるな。。」

神秘的なグリーンのオーロラが広がる表紙絵に惹かれて手に取り、レジに向かいます。

 

グリーンを基調とした長方形のやや厚みのあるモザイクとは『ビュイック・ドライバー 新次元の叡智』という一冊の本のことです。

それはアカシックリーディングの第一人者ゲリー・ボーネル氏の著書『ビュイック・ドライバー 新次元の叡智』が私の人生を新しいステージへと押し上げた瞬間でした。

 

『新次元の叡智』はゲリー氏の8歳から12歳までの人生と霊的体験の記録です。ゲリー少年とその兄弟は酒飲みで暴力をふるう継父を嫌って陰では”ビュイック・ドライバー”と呼んでいました。ある日のこと、ゲリー少年はその継父からのひどい暴力が原因で意識を肉体から追い出され、体外離脱を経験します。

偶発的に霊の領域という新しい扉を開いたゲリー少年は、自分の意思による体外離脱やテレポーテーションの習得、霊的教師との出会いなどを通して新しい世界を広げながら、厳しい家庭環境の少年時代を乗り越えていきます。ゲリー少年の様々な心情は活き活きと描かれ、霊的体験による体感は今まで聞いたことがないほどこまやかに表現され、読み進めるワクワク感はハリーポッターに引けを取りません。

 

それにしても、ビュイック・ドライバーの家族に対する振る舞いはなんてひどいのでしょう!酔っぱらって繰り返される不機嫌と暴力。それは私にとって他人事ではなかったのです。

手を挙げることにためらいのない父。酔えばコントロール不能になって振り回す醜悪な感情。意識が肉体から追い出される程に比べれば全く大したものではなかったものの、ゲリー少年が体験したフィーリングを私は遠からず知っているのでした。

 

そんな親近感も相まって私はゲリー・ボーネル氏に夢中になり、著書を次から次へと読み漁っていきました。対談形式、Q&A形式で親しみやすい本も多いのですが、『アトランティスの叡智』のような霊的知識に関する本はスピリチュアル初心者の私には難解で文字を追うのが精いっぱいです。

ゲリーはアカシックリーディングの教師であり、著書の内容からも信頼して大丈夫そうだということが次第に分かってきました。ネットで検索してみると日本で定期的にセミナーやスクールを開き、アカシックリーディングの個人セッションも行なっているようです。

「行ってみたいけれど、無理だなぁ。」

長男はまだまだ小さくて預けにくいし、夫はスピリチュアルに関心が無いどころか揶揄するきらいがあるので、おおっぴらにはしずらいのです。

「とにかく本を読もう。それしかできないもんな。」

今まで知らなかった世界に、ひっそりと好奇心が膨らんでいくばかり。

 

 

長男が幼稚園に入園し間もなく、ありふれた日常は両親の離婚惨劇によって一気に吹き飛ばされていきました。自営業の父が仕事で詐欺にあって多額の借金を抱え、夫婦で四方八方走り回っているときに複数の女遊びが発覚し、堪りかねた母がカバンに詰められるだけ着替えを詰め込んで、我が家に転がり込んできたのです。

アルコールのように長年かけて父の身体に染み込んだ愚かさという火種に母の猛る性格がたっぷりとアブラを注いで、目も当てられないほどのたいへんな騒動になりました。

母は精神を病み、私は父に親子の縁を切られ、数年がかりで離婚というケジメにたどり着いた頃には関わった身内も私も心労でグッタリ。借金は家を売却してきれいに片付けられたのが唯一の救いです。

 

この出来事は私の中で暗い尾を引き続けました。ケンカが常の両親とは言えあそこまで悲惨な結末を迎えるなんて、二人にどんな因縁があったのだろう。現世だけでは説明のつかない原因があるのではないか?もしかしたら私達子供や孫にまで悪い影響を与える何かがあるのでは?家系の中に未解決の問題が残っているのでは?実際に母の兄弟はほとんど全員が離婚しています。ただの偶然とは思えない。

 

納得のいかない、モヤモヤ

誰か教えて欲しい。

そうだ、

あの人なら分かるかもしれない。

ゲリー氏のアカシックリーディングセッション、

受けてみよう。

 

ブログ”優里のスピ探求”にてツインレイや霊的導きについて綴り始めるにあたって伝えておきたいこと

「好きでなくても身の回りの世話は出来る!」

 ”耳には聞こえない声”を疑いようもないほどハッキリと聞いたのは、運命に従って進学した大学のサークルで知り合った男性と一緒に居たときのことでした。お付き合いは始まったばかり。まだケンカをしたこともないし、お互いを深く知り始めてもいない相手なのに、倦怠期真っただ中の妻のようなセリフを私自身が思い浮かべるはずもありません。しかもその”耳には聞こえない声”は、聞いた者の背筋が思わずピン!と伸びてしまうほど威厳のある声と男性的な言い回しで、あきらかに”個性”を持っていました。

私は自分ではない者の声が脳内に響いたことや思い付くはずもない言葉に「これは一体何だろう?」とキョトンとするばかり。

意味も分からないままに”耳には聞こえない声”の出来事は放置され記憶の中へとしまわれていったのでした。その男性とは後に夫婦となります。

 

 その次に”耳には聞こえない声”を聞いたのは、それから二十数年経ってのことです。長年の賃貸暮らしを卒業して念願のマイホームを購入し、家のカギを初めて玄関の鍵穴に刺そうした瞬間でした。

「ここは、終の棲家じゃない!」

バチッと体内に電気が走って、カギを持つ手を思わず引っ込めます。

「何言ってんのよ!終の棲家のつもりでこの家を買ったのに!」

一体何なの!と条件反射的にプリプリと怒りながら鍵穴にカギを刺していて思い出したのです。この厳しい物言いの声、ずっと前に聞いたことがある。

 そしてそれからの私の人生は全く予想していなかった方向へと流れ出していきました。スピリチュアル探求の道への参入、徐々に色濃くなっていく霊的な導き、そしてツインレイとの出会いです。

 

 ツインレイとは魂が進化と成長のため地球に降りる際に組んだバディで、最も自分に似ているすなわち周波数の近い魂を選ぶといわれています。

それぞれの魂が同じ時期に別々の場所に転生することもあれば、一方の魂が転生している間もう一方は転生することなく相手方の見守りやサポート役にまわることもあり、繰り返される転生を通してそれぞれで学び、時には地球での困難な道のりを乗り越えていけるようさまざまな形で助け合っています。

ツインレイ同士が同じ時期同じ場所に転生し、出会うことはめったにありません。なぜならば進化と成長がじゅうぶんに進んだ魂が地球での学びの総仕上げのために出会う相手がツインレイだからです。ツインレイとの道のりが過酷で困難なものであるのはそのためなのです。

 

 私にとってのツインレイは全身全霊で愛することと愛されることを教えてくれた唯一無二の人です。

私たちは二人きりで同じ時間と場所を共有したことがほとんど無く、プラトニックな関係のまま深い想いが育まれていきました。幾重もの喜びの季節と苦悩の季節を通り過ぎ、今はサイレント期間に入っています。ツインレイのサイレント期間とは、お互いが離れ離れになりそれぞれで魂を磨く時間のこと。離れたからこその気づきや学びがありますし、激しい苦悩や困難の後には心身の休息も必要です。

それではサイレント期間の後、ツインレイ同士はふたたび巡り合うことが出来るのでしょうか?それは私たち次第、ツインレイの二人が魂をどれだけ磨き上げられたかによります。それは決して簡単なことではありません。ツインレイは甘い恋愛感情やなぐさめ合い、鈍色の愛憎だけを味わうために出会うのではないのですから、サイレント期間こそがツインレイにとっての霊的な本番と言えるかもしれません。

 

 私には霊的な導きによって示されたサイレント期間中に果たすべき使命があります。それは私たちのツインレイストーリーをこの世に書き残すことです。

ここに記すツインレイストーリーは体験談ですので、こうすればツインレイと出会える、ツインレイと結ばれる、または霊的な導きを受けるにはどうすればいいかといった具体的なテクニックを書くことはありませんが、ヒントを見つけることはできるでしょう。

スピリチュアリズムが浸透し、ツインレイという言葉がビックキーワードとなったこれからの時代に、ツインレイとの出会いを果たす人や霊的な導きを受ける人、霊的な能力が開花する人が増えていくのは明らかなことですから、そういった方々のために少しでもお役に立てればと願うばかりです。

 

 そしてツインレイストーリーを記す理由がもう一つあります。他ならぬツインレイである彼に私たちに起きている出来事の霊的な側面をすべて伝えるためです。

 これは私にとってはどうにもやりたくない仕事です。この独特なものの見方はスピリチュアリストではない彼に理解されないかもしれませんし、エモーショナルなエネルギーにあふれた人には理屈っぽく冷淡に映るかもしれません。伝えたいことが正しくそのまま伝わるとは限りませんし、今までの出来事を綴るには晴れの日ばかりではなく嵐の日も書き記さなければならないので、また彼を怒らせたり悲しませてしまうかもしれません。いいえ、少し前までなら確実に彼は怒ったり悲しんだりしたことでしょう。

 

 アカシックリーディングによってここから先に視えている私たちの未来が一つだけあります。それは彼の最期の時に私がそばにいるというシーンです。

彼のベットの横に私が座っているのですが、長いサイレント期間の後に死期を知った彼から連絡が来てやっと再会を果たしたのか、サイレント期間をくぐり抜け充分な二人の月日を過ごした後に最期を看取るのか、その未来の情報からは伝わってきていません。今の時点ではどちらの可能性も存在していて、私たちはそれらを選ぶことができるようです。

 

 昔聞いた”耳には聞こえない声”の意味も今なら分かります。「好きでなくても身の回りの世話は出来る!」は、「許しという学びのために辛抱しなさい」ということですが、一生この相手と辛抱するのか、学びを終えて辛抱から抜け出せるかは私自身の魂の磨き方にかかっています。

私にとって終の棲家に住むというのは安心安全で波風の立たない人生を得たという象徴ですので「ここは、終の棲家じゃない!」という言葉は「無難な人生を選ぶな!」という訴えかけです。波乱万丈はすでにたっぷり経験していますからごちそうさまにしたいところですが、いずれ何らかの理由でこの家を離れる可能性は高いようです。

 

 こういった霊的な情報を鵜呑みにしてはいけませんし、どう受け入れて咀嚼するか、受け止めないかもその人次第ですが、信じなくても反発してもよいので私たちの出来事の霊的な意味をツインレイである彼に聞いてもらう。これが私の役割なのです。

サイレント故にやり取りをすることは叶いませんが、私たちの間にあるどの道を選んでも良いですから彼がその道を最後に振り返った時、満面の笑みでいられるように心を込めて綴っていきます。

 

愛の形は様々に変わっていっても、最愛の人の喜びと幸せのために。