優里のスピ探究

霊的導き ツインレイ スピリチュアル探求の実録ブログです

ブログ”優里のスピ探求”にてツインレイや霊的導きについて綴り始めるにあたって伝えておきたいこと

「好きでなくても身の回りの世話は出来る!」

 ”耳には聞こえない声”を疑いようもないほどハッキリと聞いたのは、運命に従って進学した大学のサークルで知り合った男性と一緒に居たときのことでした。お付き合いは始まったばかり。まだケンカをしたこともないし、お互いを深く知り始めてもいない相手なのに、倦怠期真っただ中の妻のようなセリフを私自身が思い浮かべるはずもありません。しかもその”耳には聞こえない声”は、聞いた者の背筋が思わずピン!と伸びてしまうほど威厳のある声と男性的な言い回しで、あきらかに”個性”を持っていました。

私は自分ではない者の声が脳内に響いたことや思い付くはずもない言葉に「これは一体何だろう?」とキョトンとするばかり。

意味も分からないままに”耳には聞こえない声”の出来事は放置され記憶の中へとしまわれていったのでした。その男性とは後に夫婦となります。

 

 その次に”耳には聞こえない声”を聞いたのは、それから二十数年経ってのことです。長年の賃貸暮らしを卒業して念願のマイホームを購入し、家のカギを初めて玄関の鍵穴に刺そうした瞬間でした。

「ここは、終の棲家じゃない!」

バチッと体内に電気が走って、カギを持つ手を思わず引っ込めます。

「何言ってんのよ!終の棲家のつもりでこの家を買ったのに!」

一体何なの!と条件反射的にプリプリと怒りながら鍵穴にカギを刺していて思い出したのです。この厳しい物言いの声、ずっと前に聞いたことがある。

 そしてそれからの私の人生は全く予想していなかった方向へと流れ出していきました。スピリチュアル探求の道への参入、徐々に色濃くなっていく霊的な導き、そしてツインレイとの出会いです。

 

 ツインレイとは魂が進化と成長のため地球に降りる際に組んだバディで、最も自分に似ているすなわち周波数の近い魂を選ぶといわれています。

それぞれの魂が同じ時期に別々の場所に転生することもあれば、一方の魂が転生している間もう一方は転生することなく相手方の見守りやサポート役にまわることもあり、繰り返される転生を通してそれぞれで学び、時には地球での困難な道のりを乗り越えていけるようさまざまな形で助け合っています。

ツインレイ同士が同じ時期同じ場所に転生し、出会うことはめったにありません。なぜならば進化と成長がじゅうぶんに進んだ魂が地球での学びの総仕上げのために出会う相手がツインレイだからです。ツインレイとの道のりが過酷で困難なものであるのはそのためなのです。

 

 私にとってのツインレイは全身全霊で愛することと愛されることを教えてくれた唯一無二の人です。

私たちは二人きりで同じ時間と場所を共有したことがほとんど無く、プラトニックな関係のまま深い想いが育まれていきました。幾重もの喜びの季節と苦悩の季節を通り過ぎ、今はサイレント期間に入っています。ツインレイのサイレント期間とは、お互いが離れ離れになりそれぞれで魂を磨く時間のこと。離れたからこその気づきや学びがありますし、激しい苦悩や困難の後には心身の休息も必要です。

それではサイレント期間の後、ツインレイ同士はふたたび巡り合うことが出来るのでしょうか?それは私たち次第、ツインレイの二人が魂をどれだけ磨き上げられたかによります。それは決して簡単なことではありません。ツインレイは甘い恋愛感情やなぐさめ合い、鈍色の愛憎だけを味わうために出会うのではないのですから、サイレント期間こそがツインレイにとっての霊的な本番と言えるかもしれません。

 

 私には霊的な導きによって示されたサイレント期間中に果たすべき使命があります。それは私たちのツインレイストーリーをこの世に書き残すことです。

ここに記すツインレイストーリーは体験談ですので、こうすればツインレイと出会える、ツインレイと結ばれる、または霊的な導きを受けるにはどうすればいいかといった具体的なテクニックを書くことはありませんが、ヒントを見つけることはできるでしょう。

スピリチュアリズムが浸透し、ツインレイという言葉がビックキーワードとなったこれからの時代に、ツインレイとの出会いを果たす人や霊的な導きを受ける人、霊的な能力が開花する人が増えていくのは明らかなことですから、そういった方々のために少しでもお役に立てればと願うばかりです。

 

 そしてツインレイストーリーを記す理由がもう一つあります。他ならぬツインレイである彼に私たちに起きている出来事の霊的な側面をすべて伝えるためです。

 これは私にとってはどうにもやりたくない仕事です。この独特なものの見方はスピリチュアリストではない彼に理解されないかもしれませんし、エモーショナルなエネルギーにあふれた人には理屈っぽく冷淡に映るかもしれません。伝えたいことが正しくそのまま伝わるとは限りませんし、今までの出来事を綴るには晴れの日ばかりではなく嵐の日も書き記さなければならないので、また彼を怒らせたり悲しませてしまうかもしれません。いいえ、少し前までなら確実に彼は怒ったり悲しんだりしたことでしょう。

 

 アカシックリーディングによってここから先に視えている私たちの未来が一つだけあります。それは彼の最期の時に私がそばにいるというシーンです。

彼のベットの横に私が座っているのですが、長いサイレント期間の後に死期を知った彼から連絡が来てやっと再会を果たしたのか、サイレント期間をくぐり抜け充分な二人の月日を過ごした後に最期を看取るのか、その未来の情報からは伝わってきていません。今の時点ではどちらの可能性も存在していて、私たちはそれらを選ぶことができるようです。

 

 昔聞いた”耳には聞こえない声”の意味も今なら分かります。「好きでなくても身の回りの世話は出来る!」は、「許しという学びのために辛抱しなさい」ということですが、一生この相手と辛抱するのか、学びを終えて辛抱から抜け出せるかは私自身の魂の磨き方にかかっています。

私にとって終の棲家に住むというのは安心安全で波風の立たない人生を得たという象徴ですので「ここは、終の棲家じゃない!」という言葉は「無難な人生を選ぶな!」という訴えかけです。波乱万丈はすでにたっぷり経験していますからごちそうさまにしたいところですが、いずれ何らかの理由でこの家を離れる可能性は高いようです。

 

 こういった霊的な情報を鵜呑みにしてはいけませんし、どう受け入れて咀嚼するか、受け止めないかもその人次第ですが、信じなくても反発してもよいので私たちの出来事の霊的な意味をツインレイである彼に聞いてもらう。これが私の役割なのです。

サイレント故にやり取りをすることは叶いませんが、私たちの間にあるどの道を選んでも良いですから彼がその道を最後に振り返った時、満面の笑みでいられるように心を込めて綴っていきます。

 

愛の形は様々に変わっていっても、最愛の人の喜びと幸せのために。